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    昭和天皇に献上されたコモドドラゴンはその後どうなったのか?

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    戦時中の日本にコモドドラゴンがいた

    コモドドラゴンは、現在ではインドネシアの一部の島にしか生息していない、世界最大のトカゲです。体長は3m近くに達し、大型の哺乳類を捕食することもあるため、現代でも特別な生物として扱われています。そのコモドドラゴンが、かつて日本に生きたまま存在していたことは、あまり知られていません。

    Source: 東京動物園協会

    こちらの写真がそのコモドドラゴンです。貴重な画像ですよね。つがいだったのでしょうか?どことなく、穏やかな目をしているようにも見えますが、間違いなくコモドオオトカゲですね。
    では、なぜ日本にコモドドラゴンがいたのでしょうか。理由は、第二次世界大戦中の南方作戦にあります。

    各地で猛獣を捕獲、旧海軍はコモドドラゴンを持ち帰る

    1942年、日本海軍は南方地域を占領・進出する過程で、現在のインドネシア・コモド諸島周辺において、巨大な肉食トカゲを捕獲しました。当時の日本では、コモドドラゴンという生物はほとんど知られておらず、文献や写真でさえ目にする機会はほぼありませんでした。実物を見た人間は、軍関係者を含めても極めて限られていたと考えられます。

    捕獲されたコモドドラゴンは、生きたまま軍艦で日本へ輸送されました。現在のような動物輸送用の設備はなく、肉食で攻撃性のある大型爬虫類を船内で管理することは、大きな危険を伴う作業だったと想像できます。当時海外大佐だった城英一郎の日記には、この時のことが記録されていますが、陸上輸送はトラックだったと記述されています。

    昭和天皇に “龍の幼生” として献上

    日本到着後、コモドドラゴンは「蛟龍」という名称で昭和天皇に献上されました。蛟龍とは、東アジアの伝承において、龍になる前段階の存在とされる生き物です。巨大で正体の分からないオオトカゲに、伝承上の名前を当てはめた点に、当時の戸惑いが表れています。

    しかし、この場面で意外な展開が起こります。献上を受けた昭和天皇は、この生物を伝説的な存在としては扱いませんでした。前記「城英一郎日記」の記述によれば、天皇は学名に基づき「コモドエシスというトカゲである」と述べられたとされています。生物学、とくに分類学に関心と知識を持っていたというのが驚きです。

    その後、このコモドドラゴン2頭は上野動物園へ移され、一般公開されました。戦時中で物資不足が続く中、南方から来た巨大な爬虫類は強い注目を集め、多くの見物客が訪れたと言われています。当時の日本において、これほど大きな肉食オオトカゲを直接見る機会は他にありませんでした。

    一方で、飼育環境は決して十分ではありませんでした。コモドドラゴンは高温な環境を必要とする熱帯性の動物です。日本の冬は彼らにとって厳しく、燃料や資材が不足する戦時下で、安定した温度管理を続けることは困難だったと考えられます。

    戦時猛獣処分のリストに名はなく、行方は不明

    1943年以降、戦局の悪化とともに東京では空襲の危険が高まり、上野動物園では「戦時猛獣処分」が実施されました。「かわいそうなゾウ」の絵本で有名な、トンキーやワンリー、その他多くの動物が殺処分される中で、コモドドラゴン2頭については処分記録に名前が残っていません。生き延びたのか、別の理由で死亡したのか、その後の運命は分からないままです。

    上の画像を見てみますと、少し元気がない様子にも見受けられますので、もしかするとそれ以前に死んでしまった可能性もあります。

    ちなみに、その後上野動物園にはヨーコというメスのコモドドラゴンが飼育されていましたが、繁殖のためにシンガポールに貸し出され、その子であるタロウが東山動植物園に来日して、現在も人気を博しています。
    日本とコモドドラゴンの関係がこれほど歴史があるということは、ほとんど知られていませんが、なにか深い縁があると言っても良いかもしれませんね。

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